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WillxWill(ウィルウィル) バーテンダー Takashi Hassyのインタビュー記事

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志をもって未来を生きていたい。とあるバーテンダーの、ロックな生き方。【インタビュー記事】

 

■インタビュアーの本ページはこちら

note.com

 

「何もしてない時間があまり好きじゃなくて。忙しいってあまり言いたくないけど、その中で時間作って自分のことするのは好きだったかな。」

自分を分析するように、目を宙に向けながら、橋間貴志(はしまたかし)さんは呟いた。

神奈川県、溝の口。

雑居ビル3階にあるBar Twiceup は、隠れ家的な雰囲気。それでいて、何者をも歓迎する暖かさも感じさせる不思議なお店だ。まだお昼時ということもあり、店内には陽光が差している。

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一番好きなお酒だというジョニー・ウォーカーのボトルと、そのブランドキャラクターの像を前に置いて、橋間さんは迎えてくれた。

そのボトルで作ったというハイボールを飲みながら、お話を聞かせていただいた。

橋間さんはこのバーでバーテンダーとして働きながら、自分のアパレルブランド『WillxWill』を運営して、服を作っている。

「でも僕はパタンナーとかファッションデザイナーではないですね。パーカーやTシャツなどを売るボディ屋さんと契約して、仕入れて、プリントとデザインをやっています。いうなればプリント屋さんか、オリジナルTシャツ屋さん。」

生地から服を作るわけではないが、自分のデザインの版起こし、服への印刷、梱包発送、ECサイトの運営まで。全て自分一人で行う。

デザインプリントの外注も手掛け、時には働いているバーで、自ら展示会やイベントなども企画する。

それでもメインはバーテンダーとして、目の前のお客さんに極上の一杯を出すことが生業。かれこれ5年続けているという。

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「やりたいことやれないなんてロックじゃない。」
もともと趣味で始めたという服作り。きっかけはなんだったのか。

「高校で軽音部に入って、Pay money To my Painってロックバンドに出会ったんです。ボーカルの彼が自分でNine Microphonesっていうブランドをやっていて。それ見て憧れまして。自分のバンドのグッズとかを作ったりし始めてから、服を作るのにハマったかな。」

懐かしむように、笑顔で橋間さんは語る。

大学でも続けたバンド活動で始めた服作り。その面白さの虜になったちょうど20歳の頃、今のブランドを始めた。

 

 

『WillxWill』という自分のブランド名には、 “志をもって未来を生きていく”という意味を込めたそう。

「僕、下の名前が貴志っていうんですけど、“志”って漢字が使われていて。親父が“志”って字は使いたかったらしいんです。僕自身も結構気に入っているので、感謝の気持ちも込めて、そのワードは使いたかったかな。」

ブランドに込めた想いは、自分自身の名前に込められた願いでもあった。この名前を背負ってから、自分の生き方はぶれないという。

そんな想いに共感してか、ネットショップのBASEでは9000人を超えるフォロワーがついた。

120万を超えるショップの中で、1000位ほどの位置まできたことは、橋間さんの大きな自信にもなっている。

あまり難しく考えず、とにかくノリと勢いで始めたというこのブランド。そのときやりたかったことをやっただけだという。

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「やりたいことやれないなんて、ロックじゃないよ!自由に生きたいし。」

橋間さんは目を輝かせ、笑いながら言った。

“自由に生きる”ことに憧れる人は少なくないが、実際はものすごく大変なこと。それなりに苦労もしてきたのでは。

「今はだいぶ仕事になってきたけど、初めは売れなかったよ。ボディ代やインク代もかさむし。でも、もともと自分が楽しくて作っているだけで。つながりがある人が買ってくれたりするとすごいうれしかったな。」

「BASEのフォロワーもこの前まで300人ぐらいだったんだけど、たまたまBASEのピックアップショップに選ばれて。そして一気に9000人まで増えた(笑)。本当にびっくりしたけど、なんでも続けていれば絶対うまくいくって、みんなが言う理由もわかってくるな。」

続けるって、ものすごく大変だ。人の気持ちは揺れ動くから。

けれども、好きだから続けられたし、続けたことで広がりも生まれた。好きな気持ちを大切にしてきた橋間さんは、強い。そう思った。

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「だからこの仕事向いてるな、とは思ったな。」
バーテンダーとして生きることも、そんな橋間さんには“らしい”選択だったのだろう。

もともとバイトで働いていた居酒屋の店長さんに連れられて、はじめてこのバーにやってきた橋間さん。

その後、思い立って一人でお店に向かい、オーナーにどうすればバーテンダーになれるのか?と話を聞きに行ったことからの縁だという。

「縁ですね、僕の人生は。何やるにしろ、人脈だね。なんかやりたいってなっても、一人じゃできないときに誰かに聞けばつながるみたいな。大体誰かに聞けば会いたい人にもたどりつけたりするし。」

オーナーの厚意でバーテンダーとして働き始めた橋間さん。1年後には、飲み歩いた足で紹介してもらった都内のオーセンティックなバーでも数年間、経験を積んだ。

始めた頃は右も左もわからず、ただ必死で800本もあるお店のウイスキーの味から名前、そのお酒にまつわる歴史やエピソードまで覚えてお客さんに説明するのが大変だったという。

「ウイスキーの種類がそんなにあることにまず驚いたし、初めは意味が分からなかったね。でも、だからこそ、今自分で見ているものや知っているものだけでは、その先には進めないなって痛感しました。」

そんな思いから、必死に働きながらも、時間を見つけてはいろいろな場所を飲み歩き、勉強した。ブランドの方も、もっと服のプリントを勉強したいと思い立ち、プリント工場の仕事を始めた。これもお客さんの紹介から。

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「週6,7で朝はプリント工場でバイトして、昼は大学で勉強。夜はバーテンダーとして働く、みたいな生活だったな。」

「何もしてない時間があまり好きじゃなくて。忙しいってあまり言いたくないけど、その中で時間作って自分のことするのは好きだったかな。」

忙しい生活でも、どちらかを手放すことはしなかった。それぐらいどちらの仕事も好きだったからだという。

「バーテンダーのテンダーって優しい人、とか止まり木、って意味合いがあるんだ。だからバーテンダーは寄り添うように話を聞くのも仕事であると思っていて。」

 

「僕はそもそも人が好きだし、話を聞くのも好きで、自分のことを話すのも好き。相手に向き合うからいろんな人からいろんな話を聞くし、相談までしてくれる。だからこの仕事向いているな、とは思ったな。」

今もこうして続けている中で、最近仕事に対して芽生え始めたものがあるという。

「そのボトルって僕が作っているわけじゃなくて。」

「だれかが作ったものを、僕が出している。その生産者さんの想いを届けることが、僕らの仕事なので。」

「僕が何をどう出すかで、お客さんがその時感じること、味、想い、エピソード、全部変わっちゃう。それを伝えられる仕事はいいなって思うし、伝えるべき仕事だって思うな。」

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想いを伝える代弁者。

きっと目の前のだれかを想うってとても素敵なことで。想いが込められた一杯を、橋間さんは今日も、国を超え、人を超え、だれかにつないでいる。

そして、何気ない一歩から始まったことが、だれかを笑顔にできる力になる。そう思うと、心が熱くなった。

 

「終わりに」
最後に、そうやって自分の信念を、“志”をもって未来を生きぬく橋間さんが大切にしている言葉を教えてもらった。

「有言実行とは少し違って、いつまでにやるって先に決めて、それに間に合わせるために無理やり努力して帳尻を合わせるって言葉で。そう言っている方がいて、俺はそのタイプだなって。」

『結果を決めて、努力で帳尻』

言葉にした夢は、自分の身の丈には合わない絵空事かもしれない。

それでも思うままに行動して、努力していれば、きっと、大きなことを成し遂げられる。

たとえ叶わなくとも、結果はごまかしたって、見せかけたっていい。努力をして、少しでも近づければ、それでいいのだ。

諦めるのは、まず一歩を踏み出してからでも遅くはないのではないか。

机の上のジョニー・ウォーカーが笑った気がした。

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